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日本数学会

伊藤清生誕100年記念事業

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Seminar on Probability と 確率論の手引について

 Seminar on Probabilityのシリーズの出版は、1959年10月に結成された「確率論セミナー」の会員相互の研究交流を深めることをめざして始められた。

 1950 年代の後半、PSG(確率・統計グループ)サマーセミナーが1956年信州の戸隠で始まり、その後も毎夏場所を変えて続いていた。それに参加していた、1940年代からの確率論の新たな展開に興味を持つ、30才前後の人達の間で日常的な研究交流を望む意見が強まった。1959年春、そのために新たな研究グループの結成をめざし、準備会を立ち上げ、グループへの参加を広く呼びかけた。それに応じて、1940年代から関連分野の研究を進めて来た伊藤清、丸山儀四郎等40才代の研究者や、これから研究を始めようとする大学院生等から参加希望が準備会に届いた。あわせて、これらの人達から会の運営についての多くの提言や要望も寄せられた。

 このような経過を経て1959年10月に約40名の会員で発足した確率論セミナーでは、既に準備会の時からとりかかっていたVol.1に続いてSeminar on Probabilityのシリーズ の発行を積極的に進めることになり、第1回の総会で会員の推薦によりVol.2からVol.7までの執筆者が決った。その後も著者を最終的には総会で決めるこの習慣は続けられた。またこのシリーズの内容は次のような性格のものをめざすことになった。

(i) 会員の研究成果を最終結果だけでなく、問題の背景や多くの具体例を取上げ、さらに他分野との関連にふれたもの、

(ii) 国際的に新たに広く研究され始めている課題を系統的に紹介したもの、

(iii) 新たに展開され始めている課題でロシヤ語で書かれた文献しかないものの紹介。

しかしながら、この発行を続けることは必ずしも容易でない事情もあった。たとえば

 (a)当時は大量のcopyの作成はガリ版刷りによっていて、数式のあるものを扱える業者は限られていた。そこで、早くから「函数方程式」の印刷を行っていた福岡市在住の市原氏に依頼するほかはなく、そのために校正の作業を福岡在住の会員だけにたよることになり、大きな負担をかけることになった。(なおこの事情はcopy作成の方法が進み、ある時期からは解消された。)

 (b)購入費は巻ごとで違うが、おおよそ会員150 円、それ以外200 円位であったが、この額は若い会員にとっては負担の限界に近く、発行のための資金の確保は容易ではなかった。そのために、時には有志会員や矢野恒大記念会からの寄付にたよることもあった。なお、購入の受付や発行に関する著者との連絡等は、種々の通知等と同様、当初は確率論セミナー事務局で行った。しかし不慣れのことが多くその負担も軽くはなかった。(事務局は第1回は関西在住の5名の会員(代表者飛田武幸)が担当し、その後各地で順番に交代した。)

 確率論の手引のシリーズは、確率論の全般にわたる概観と、現時点での問題点を出来るだけ整理した形で述べることを目標に始められた。当時日本数学会編集の数学辞典(岩波書店)の第二版の準備が進められていて、そのための編集委員会の中の確率論関係の小委員会から確率論セミナーへ協力要請があったことがこのシリーズを始める一つの動機になった。協議の結果、確率論セミナーとしては、その要請に答えるだけでなく、先に述べた趣旨のシリーズを独自に始め、会員の研究交流に役立てることをめざすことになった。これらの事情は確率論の手引のVol.1に当時の事務局により詳細に説明されている。

2013年11月

(文責) 池田信行