2巻1号

巻 頭 言

 事情があってこの4月末から5月にかけて,週末になると高校野球の観戦にいった.私はまるでスポーツ音痴なので,バックネット裏でしげしげと野球を見るのはこの年になって初めての経験である.要するに素人なのだが,見ているうちにそれなりに分かってきてなかなか面白い.高校野球の投手というものは,120キロからせいぜい130キロ程度のボールで,いわゆる剛速球投手となるものはそんなにいるものではない.いい投手はボールとストライクの見分けがつきにくい球を,緩急をつけて丁寧にほうり投げてくるもので,これを9回続けるとまずめったに点は入らない.とっくの昔から知れたことではあるが,自分の目で見てなるほどと合点をするのは,結構楽しいものである.
 なによりも,広い球場で半日風に吹かれながら野球見物をするのは500円の入場料にしてはもったいない位の楽しみである.
 昨今,若者の数学離れが話題になっている.これを憂えていろいろ努力をなさっておられる方々も多勢おられ,私も協力を惜しまないつもりではあるが,世の中いろいろな人々がいて良いわけで,アーベルやガロアにひかれる若い人とともに,野球に熱中するのがいても当たり前で,要は一律平等というのが現実離れしているだけだろう.こうみると国民の成人の半数近くが微分積分を知っているというのが,ひょっとしたら歴史上希有の出来事であるかもしれないという気がしてきた.
 数学もせめて野球のように,素人が素人なりに楽しめるようになったなら,もっと若者の人気も高まるにちがいない.数学は学問の性格上,極めて硬質の価値観をかかげることが多く,研究者どうしの間ではそれは当然のことであるが,ことが入学試験とか一般の数学教育となると,もっと別の姿勢を持たなければならないだろう.しかし数学研究の際の価値観ほどに確立されたものが有るようには思われない.数学の本も野球場のように広くてのびやかのものをどなたか書いてくれませんか?

(「数学」編集長 吉田 朋好)


2巻2号

巻 頭 言

 はからずもこの4月から理事長を仰せつかってしまった.そんな器でないのは明らかなのだが.ひたすら皆様のご支援をお願いする.特に初代の正田建次郎氏以来の東京圏外の理事長ということで,事務局はじめ在京の方々にはいろいろ御迷惑をかけることになろうとおそれている.
 それにしても大変な時代である.この何年かにわたって,数学をめぐる情勢は激変しつつある.特に大学大綱化に始まった「大学改革」が,研究教育環境を大きく変えてしまった.その影響がまだ顕在化しつつあるところに,さらに「教員任期制」「大学民営化」など一層の激震が来ようとしている.
 こうした事態にあって,数学会も単なる友好文化団体であることは許されず,ここ数年様々な改革が試みられている.この「数学通信」の発行もその一つである.しかしこれら諸活動の成否は,究極的にはそこに会員お一人お一人の積極的な参加が得られるか否かにかかっている.そのためにも数学会が一部の人々のためではなく,会員全体のためのものとなるよう一層努力しなければならないと考える.
 そこで今期の活動の目標として
          『開かれた数学会を目指して』
を提案したい.
 幾つかの視点がある.
(1)一般会員に対して開かれた数学会 これが第1たるべきことは当然であろう.理事会・委員会の諸活動がすべての会員にさらによく「見える」ように,また一般会員の方々の声が理事会・委員会により一層届くようにしたい. (2)21世紀に対して開かれた数学会 20世紀に日本の数学は世界の研究をリードするに至った.その水準を次の世紀に向けて維持発展させてゆかねばならない.
(3)学問全体に対して開かれた数学会 数学に関わる分野が数理科学として急速に広がりつつある.他分野との研究交流をはかり,数学自身としてもより多様化していく必要があろう.
(4)社会に対して開かれた数学会 数学の持つ社会的責任を自覚し,また数学文化を広く普及させていく必要がある.具体的には前者にあっては大学基礎教育の検討,後者にあっては高校生等に対する普及活動推進などが挙げられる.特に昨今余りに甚だしい数学に対する誤解を積極的に解いてゆかねばならない.
 秋の総合分科会の折には同名の公聴会を開き,皆様の直接の声をお聞きしたい.多数の御参加を切に希望する.

(理事長 浪川幸彦)


2巻3号

巻 頭 言

 空が澄んでさわやかな秋がやってまいりました.
 はじめてマッキントッシュパソコンに爆弾マークが現れた時は本当にびっくりしました.あわてて研究室の反対の角に逃げて様子をみていましたが,5分以上経過しても機械の爆発は起こりませんでした.しかし,この後どうしたら良いかわからず,途方に暮れ,心細くなってローカをウロウロしていました.
 そのとき助けてくれた若い助教授に後光がさして見えました.どうも私は誤操作をするらしく,その後もパソコンがしばしば皮肉っぽい文句を言います.情けない自分と,皮肉っぽい機械と,ぶ厚く不親切なマニュアルに嫌気がさしてしまい,放り出したくなりましたが,親切な教室の皆さんに支えられて今日に至っています.この頃は少しパソコンが面白くなってきました.
 世の中には数学嫌いの人が沢山いますが,その人達はきっと,小,中,高,大学のどこかの段階で私のような目に会っているのではないでしょうか.どうやったら良いか分からず,心細く,ウロウロしたに違いありません.
 そんなときに救いの手がさしのべられたら,この上なく有難く思うことでしょう.後光も見えるかもしれません.先生にとっては他愛もない事でも,その生徒(学生)にとっては,非常に困難な事である可能性が高いのです.
 今日の数学界をとりまく状況のきびしさは,ひょっとするとその一因が,人々の数学に対する嫌悪感にあるのかも知れません.とすれば,私達はそれらを取り除く地道な努力を惜しんではならないと思います.
 私達が長年かかって会得して多少はもっている「数学が分かるコツ」と,「数学の面白さと大切さ」をできるだけ多くの生徒(学生)や一般の人々に教え,また数学の本を書くとしたら,「親切な本」を書くように,一層の努力が必要だと,最近痛感しております.

(阪神支部責任評議員 難波 誠)


2巻4号

巻 頭 言

 数学を専攻する大学院生の数が大きく増えた.専門教育を受けた人材を社会がますます必要としている現在,これは当然の流れではある.しかし,大学院でどのような教育をおこない,どのような人材を社会に送り出していくべきか悩んでいる人は多いと思う.その答は今後何年にもわたる試行錯誤の中で見いだしていくしかないであろう.各大学でのこれまでの経験・成果を報告し課題について語り合う場を数学通信の中に設けてみてはと思う.
 専門は数理ファイナンスと宣言しているせいか,どのような教育が望まれているのか意見をよく聞かれる.金融機関関連のことしか知らないし,考えは変わり続けているのだが,今現在の意見を述べてみたい.
 日本の金融機関はリスク管理・時価会計の導入といった新しい流れの中で数学の専門教育を受けた人材が必要であると強く感じている.しかし,卒業生がただちに戦力となるとは思っていないし,どのような役割を果たしてもらうかについてもまだはっきりとした構想を持っていないようである.数学を専門としていた者だけが数学を道具として使えるわけではない.もし他分野を専門としていた人達と大きな違いを出せるとしたら,数学全般についての概観をもち,数学の論理が厳密かどうかをチェックし結論を修正できる力をもつことではないだろうか.もしそうであれば,教育の目的はいままでと変わらないのではないか.むしろ,平均的に基礎学力が低下した多くの大学院生を一定のレベルにまで鍛え上げ社会に送り出していくためにはどうすればよいか,教育の方法をいままで以上に工夫していくことが最重要課題なのではないか.そして優秀な人を研究者として囲い込まず,社会に目を向けさせ外に出していくことが大事なのではないだろうか.

(理事 楠岡成雄)