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日本数学会

日本数学会のあゆみ--関孝和250年祭
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関孝和 250年祭について--「数学」編集部、「数学」第10巻第3号(1959)から

算祖とも算聖ともいわれる関孝和の伝記は, 史実として明らかにされていないことが多く, 生年月日のごときも不明であるが, なくなったのは1708年10月24日であったことが知られている (本号大矢真一氏の記事参照). 1958年はそれからちょうど250年目にあたるので, それを記念するための行事がいくつか行なわれた.

その一つは, 関孝和の墓が東京都新宿区牛込弁天町浄輪寺にある関係から, 東京都新宿区によって主催されたものである. 本学会も共催団体の一つとしてこの行事に参加した. 10月20日浄輪寺において墓前祭が催され,同日午後, 同区文化会館において平山諦, 細井涼両氏による講演会が開かれた. 講演会には主として東京都の教育関係者が多く来聴された. この行事を主として斡旋されたのは, 平田巧氏であった.

いま一つは, 本学会が大阪朝日新聞社の後援を得て開催した京都における '関孝和250年祭記念講演会' であった. この講演会は1958年度の秋季綜合分科会が京都大学で行なわれた機会に, 10月25日午後, 同大学法経第4教室で開かれた. 来聴者約600名が堂に満ち, 盛会であった. 本号に収められた藪内清, 加藤平左エ門, 小堀憲の三氏による記事は, 当日の講演概要を, 講演者自身にお願いして書いていただいたものである.

今から半世紀前, 1907年 (明治40年) 12月15日には,本会の前身である東京数学物理学会の主催で, '関孝和 200年忌記念講演会 'が神田一ツ橋の高等商業学校 (一ツ橋大学の前身) の講堂で開かれ, 狩野亨吉, 菊池大麓, 藤沢利喜太郎らの諸氏が講演された. その記録は '本朝数学通俗講演集' (1908年, 東京数学物理学会刊) として残されている. この '講演集 'は, 和算史の大要を知るのに, 重要な文献の一つであるが, それから50年の間に, 数学も進歩し, 科学史もまた進歩した. 本号に収められた記事は, その進歩の跡を物語るものである. なお本会の記念行事については, 小倉金之助氏から有益な助言をいただいたことを感謝する.

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